当会の発祥

無双直伝英信流北摂会と川﨑武雄先生

当流十七代大江正路より道統を継承した十八代穂岐山波雄、十九代福井春政は、後に二十代を継承する河野百錬により大阪に招かれ、大日本居合道八重垣会が結成されて多くの居合人が集いました。
大日本居合道八重垣会は河野二十代の後継、堀寅次、坂本吉郎に引き継がれますが、恩師・川﨑武雄先生は八重垣会で河野二十代や同会の最古参・伊藤博円、ならびに堀、坂本の両師らの教えを余すところなく受け継ぎます。
高段に昇ってからは八重垣会の出張稽古場を高槻(芥川小学校)、茨木(大池小学校、茨木消防署)に定例で開き、市内在住の八重垣会員と共に稽古・指導を展開。さらに高槻市南平台に自宅兼道場を建設されます。稽古者は着実に増加し、30名に届く人員を集めるに至り先師らに分家独立を強く勧められ、昭和52年1月、無双直伝英信流北摂会を設立、正式に登録団体として認可されました。
以来、高槻・茨木で定例稽古を展開して流派の継承と後進の指導に明け暮れ、各種行事を通して地域での普及発展にも尽力し、北大阪における居合道の一大拠点として盤石の勢力を確立しました。

川﨑武雄師範
(全日本剣道連盟居合道範士八段、無双直伝英信流北摂会初代会長)

川﨑武雄師範は大正11年、香川県丸亀市の生まれ。北海道開拓への移住生活を含め活発多感な青少年期を過ごす。軍隊では剣道、柔道、空手、銃剣術、射撃など武芸の腕前が買われて破格の昇進をとげ、特殊部隊の中枢を担う。本土決戦に備え満洲から高知に転地したところで終戦を迎える。
戦後は青年期に鍛えた心身と一途な性格で社会的に成功を収め、武術遍歴の集大成を期し居合道の門をたたく。持ち前の武術センスは遺憾なく発揮され、瞬く間に上達、昇段を重ね、全日本居合道大会をはじめ、数多くの大会で実績を残すと共に、各地の演武大会では多くの出場者や観客を魅了した。とりわけ試斬の腕前は超一流で、形稽古に偏りがちな現代居合にあって、あくまでも「斬れる居合である」ことにこだわり続ける。
無双直伝英信流北摂会を結成してからはここを拠点とし、門弟育成に努めつつ自らも範士八段の最高位に昇り、名実共に日本の居合道界を牽引して来られました。
稽古では技前に対する厳しさにおいては妥協を許さない反面、細事にこだわらないおおらかな性格は弟子に慕われ、当会をよくまとめて結束の大きな源であるとともに、90歳を超えてなお後進の育成にかけられた行動力と情熱はまさに驚嘆に値します。
2017(平成29)年11月2日、弟子をはじめ多くの居合道人に惜しまれながら95歳でご生涯を閉じられましたが、その功績は色褪せることはないでしょう。
現在、二代目会長は川﨑先生の信任篤かった腹心中の腹心、河野光治教士七段が継承し、会の継承発展に尽力しています。
範士八段 川﨑武雄先生
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